勤労感謝の日と新嘗祭
2010年 11月 24日
11月23日はもともとは新嘗祭で国民の祝日だったのですが、神道行事であったため、戦後のGHQが国民行事とすることを危険視して勤労感謝の日と変えたのです。
ということで玄関に国旗を掲げてみました。
そしてちょっとごちそう(量が多いだけ…)を作って、壁にはチャンテツの日頃の勤労を感謝する紙を貼ってみました。イラストで五穀豊穣を感謝すべく我が家でよく食べる稲と鶏と魚の絵を描きました。
旦那の勤労を称えることはいい夫婦にもつながるので22日の「いい夫婦の日」にもつながって良かったでしょう。ワインに見えるのはノンアルコールのスパークリングワイン!チャンテツも翌日仕事だったし、ノンアルコールのがあって気分を出せて良かった。
しかし…。
戦争に負けるということはこういうことなんだなあと思った。
宗教が国民の力を鼓舞するというのはひとつの事実。日本で言えば古来からの宗教であった神道がその役割を担ったわけだ。戦争に負けるというのは、その時信じていたものを国民も否定し、戦勝国からも危険視され、生活から切り離されるということだ。
しかし、神道を知らずして日本の文化・風土・伝統を知ることはできないと思うと、もう少し、皇室と神道の歴史を、日本人として知っておいた方がいいのではないかと思う。
「納得」が「誇り」を生むと思うので。
《ワンポイント整理》
神話の世界では、神道の神々は高天原という天上におられます。天照大神は高天原を治める女神様で、現在も三重の伊勢神宮に祀られています。
天照大神は孫のニニギノミコトに下界の世界を治めるように神勅(しんちょく)を与え、ニニギノミコトは下界(日本のこと)に降臨します(天孫降臨)。
このニニギノミコトのひ孫にあたるのが初代・神武天皇で、神武天皇から一系統で続いているのが現在の皇室になります。だから神話から数えると2600年以上の歴史があるということだ。
長い歴史の中、天皇は歴史の表舞台に出て戦を行うこともあれば裏舞台にて権威を保つこともありました。しかし、宗教も科学も政治も未分化な状態であった古代においては祭祀の卓越者が最高権威者であったため、古代も現在も天皇の最も重要なつとめは祭祀を行うことであるといわれています。単に民衆にニコニコ手を振ることだけがつとめじゃないんだよ〜。
ちなみに神武天皇がご即位された日は西暦紀元前660年の2月11日なので、明治政府がこの日を紀元節(※)としてお祝いしていたけれども、これもGHQにより一度削除され、その後復活したが名を「建国記念の日」として改めることになり現在に至ります(※※)。
※四大節のひとつ。旧制度の4つの祭日で、紀元節(2月11日)、四方節(1月1日)、天長節、明治節を指す
※※「即位日が科学的に立証されていない」「神武天皇が大和を征服した物語が日本を征略国家としたのではないか」などという批判があり、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにした。ややこしい〜。
Wikipediaと小林よしのり氏の『天皇論』(小学館)からまとめてみました。
そしてちょっとごちそう(量が多いだけ…)を作って、壁にはチャンテツの日頃の勤労を感謝する紙を貼ってみました。イラストで五穀豊穣を感謝すべく我が家でよく食べる稲と鶏と魚の絵を描きました。
旦那の勤労を称えることはいい夫婦にもつながるので22日の「いい夫婦の日」にもつながって良かったでしょう。ワインに見えるのはノンアルコールのスパークリングワイン!チャンテツも翌日仕事だったし、ノンアルコールのがあって気分を出せて良かった。
しかし…。
戦争に負けるということはこういうことなんだなあと思った。
宗教が国民の力を鼓舞するというのはひとつの事実。日本で言えば古来からの宗教であった神道がその役割を担ったわけだ。戦争に負けるというのは、その時信じていたものを国民も否定し、戦勝国からも危険視され、生活から切り離されるということだ。
しかし、神道を知らずして日本の文化・風土・伝統を知ることはできないと思うと、もう少し、皇室と神道の歴史を、日本人として知っておいた方がいいのではないかと思う。
「納得」が「誇り」を生むと思うので。
《ワンポイント整理》
神話の世界では、神道の神々は高天原という天上におられます。天照大神は高天原を治める女神様で、現在も三重の伊勢神宮に祀られています。
天照大神は孫のニニギノミコトに下界の世界を治めるように神勅(しんちょく)を与え、ニニギノミコトは下界(日本のこと)に降臨します(天孫降臨)。
このニニギノミコトのひ孫にあたるのが初代・神武天皇で、神武天皇から一系統で続いているのが現在の皇室になります。だから神話から数えると2600年以上の歴史があるということだ。
長い歴史の中、天皇は歴史の表舞台に出て戦を行うこともあれば裏舞台にて権威を保つこともありました。しかし、宗教も科学も政治も未分化な状態であった古代においては祭祀の卓越者が最高権威者であったため、古代も現在も天皇の最も重要なつとめは祭祀を行うことであるといわれています。単に民衆にニコニコ手を振ることだけがつとめじゃないんだよ〜。
ちなみに神武天皇がご即位された日は西暦紀元前660年の2月11日なので、明治政府がこの日を紀元節(※)としてお祝いしていたけれども、これもGHQにより一度削除され、その後復活したが名を「建国記念の日」として改めることになり現在に至ります(※※)。
※四大節のひとつ。旧制度の4つの祭日で、紀元節(2月11日)、四方節(1月1日)、天長節、明治節を指す
※※「即位日が科学的に立証されていない」「神武天皇が大和を征服した物語が日本を征略国家としたのではないか」などという批判があり、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにした。ややこしい〜。
Wikipediaと小林よしのり氏の『天皇論』(小学館)からまとめてみました。
by tyukita
| 2010-11-24 08:57
| 1007~ニンプちゃん