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青森、沖縄、グァテマラ、岡山で生活してきたカフェ好き主婦の自由なブログです。


by tyukita
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青年海外協力隊

親や周囲の環境に許してもらって、住み慣れた日本を発ち、話しなれない言葉と接し慣れない文化の中で、二年間、仕事をして帰ってくる。仕事といっても、私の場合資格のいらない職種だから、目に見えて役に立つというよりは、日本の文化を忘れずに現地の良さも学ばせてもらう。いろいろな問題が生じても、それはそうだろうと覚悟して自分で選んだことだし、日本に戻った時に懐かしく思い出せるように消化するように心がける。自分の器なりにできることがありそうで、まあそんなに寒いところでなければどこの国でもいいんだけど、やはり派遣が決まった国というのは親しみも沸くし、いろいろ知りたいし、受け入れてくれるだろう国には感謝の気持ちが出てくる。

まだ訓練も始まってないのに、随分とおこがましいけれど、わたし人生もこんなもんじゃないのかな~と思うんだ。手塚治先生の有名な「火の鳥」を読むと、今この目に見えている自分の生活が非常に一瞬の出来事のように思えるんだよね。また、夜空に無数に煌く星も、あれすべて太陽のような恒星だというんだから、その周りに太陽系のようなものがあってもなんの不思議もないと思うんだよね。あの煌く星の周りに地球のような星があっても不思議はないだろうなあと思うんだよね。マクロも果てしないけど、ミクロの世界も、わたしの体に居る微生物が「ここが全て」と思っているようにわたしも地球がすべて、と思っているかもしれないな~と思うんだよ。そんなこと考えると、人間の見えてるこの世界があまりに小さく思えてくる。命の長い短い、規模の大きい小さいにこだわれば、下をみればキリがないし、上を見てもきりがない。微生物より人間は長生きだから価値があるかっていったら、そんなことじゃなくて、微生物は微生物の営みをしている、人間は人間の営みをしている、っていうことが偉いんだと思う。命の長さ、命があるかないかだけにこだわれば、ただでさえ儚いこの世界が、余計儚くなってしまうんだよね。協力隊だって、行けばいいってもんじゃない。自分のそのときの器なりに、3なら3の仕事をしてくることが大事だと思うんだよ。別に5の仕事してこなくても、3の仕事はできそうだ、と思って行かせてもらえるんだから、5の評価を求めて挫折するよりは、3の仕事はやってこようと思って行けばいいと思うんだよ。人間の人生だって、大体何年くらい生きるか予想できるんだから、その期間で自分がする仕事終わったら、それでいいじゃん、と思うんだよ。
「人命は地球より重い」というのはあまりに有名な台詞だけど、その真意はともかく、字面だけで考えると、じゃあなんのための命か?って思う。みんななんとなく命は大切だと思ってる。でも、命の大切さを教えるべき教育の場で、教師が自殺してるんだから、子どもだってしてもいいかもな、という気になる。結局その教師もなんで命が大事か、命が大事だという理由を自分のなかに落としてないから、自殺できるんだと思う。口で言ってても、本質的に納得していないなら、いつでも覆せるもの。わたしは、命より、その命でなにをやるかが大事だと思う。任期が終わって日本に帰るのは何も悲しい事ではない。現地のひとと別れるのは悲しいけど、やっぱり、帰国は嬉しい事だ。「おつかれさま!」と自分にささやき、日本の家族やともだちに会う楽しみで、頬をゆるませて帰ってくるだろう。問題は、任務が終わってないのに帰国してしまうことだ。「なにやってたんだ」と怒られても仕方ない。なにより、自分が不甲斐無くて苦しいんじゃないかな。死ぬ事も同じ感じだ。別にそんなに悲観視することではないと思う。でも、わたしはまだまだ、やるべきことを終えてないと思う。やるべきことをやってないのに死ぬのは、ハプニングだとしても、ちょっとショックだな、と思う。わたしの尊敬する、これもまたあまりにも有名な坂本龍馬先生の台詞を引用させていただくのは申し訳ないが、お姉さんに宛てた手紙のなかで、こうおっしゃっている。「私をけつして長くあるものと思召しては、やくたいにて候。然るに人並みのやうに、中々めつたに死なうぞ。私が死ぬる日には、天下大変にて、生きてをりても役にたたず、をらずとも構はぬやうにならねば、中々こすい奴で死にはせぬ」。そして結局、薩長同盟、大政奉還の偉業を成し遂げた後にあっさり死んでしまった。ただこれは非凡な人生である。けれど、「役に立たないようになるまでは死ぬつもりはない」と言う気概には、「なんだか命は大事みたい」という現代におけるあやふやな大前提よりも私は魅力的に思えるのだ。別に長寿にこだわらなくとも、短命を美化しなくとも、命がけで働く人間を嘲笑しなくともいいじゃないか、と思う。任期は与えられているんだから、任期中にやれると判断された任務をやればいいじゃないか、と思う。死んだように生きずとも、生きてないのに死なずとも、言葉は過激だが、生きて、死ね!と思う。どうもこんなに自殺されると、あーあーあーあーあー。引き戻したい。
と思ってしまう。なんともやりきれない。あー!!悲しい。私も、いつか死ぬなら、その前に生きなきゃな〜。

特に何かもの申したいわけではない。ただこう思ってるだけだ。一気に書いて少々呆然としている。しかしながら、マクロでみてもミクロでみても、こうも果てしない世界にあって、もう、命の長い短いにこだわってもきりがないんじゃないかと思う。与えられた任期で、自分の器なりに、学ぶ事は学び、残せるものは残してから住みなれた安楽の場所に帰ってくればいいんじゃないかと思う。任期中に人間として、というよりは自分として何を営むか、だと思う。日本に慣れてしまったら、海外は戸惑いが多いかもしれない。不自由は多いかもしれない。でも、そのなかで、得るものがあるはずと自分で決めて行くんだし、そこで自分の器なりに(←ここが重要)残せることもあるはずだと思って、自分で決めていくんだ。人生も然り!そして結構楽しめることも多いと思う。あ~頭が疲れた!
by tyukita | 2006-11-23 22:46 | 0610~助走