青森、沖縄、グァテマラ、岡山で生活してきたカフェ好き主婦の自由なブログです。


by tyukita
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カテゴリ:0610~助走( 22 )

今年の字、来年の字

一年を一文字で表すのがはやっている?ようなので私も便乗して…

2006は         「眠」                    だった。
はたから見たらほとんど眠っていたように思います。起きてるときも…常に夢の世界です。
一人遊びばっかりしてた。知ってる人との接触が少なかった。

2007は         「安」                    です。
あんまり変わらないって?
平安の「安」です。
具体的に細かい現象はいろいろあるけど、とにかく、「怒らない」「いらいらしない」「批判的にならない」「怖れない」「睡眠不足でも逆ギレしない」。

人によると思うけど、私の場合は怒らないことが建設的で、失敗が少なく、自分自身の恐怖心も和らげるための近道のようだ。
「ただただ心を平安にする(どんな環境でも)」
今年の大目標は、これです!

皆様2006年本当にお世話になりました。
2007年も、時々思い出してくださったら、笑ってやってください。
距離は遠くとも、接触することはなくとも、皆様の存在だけで甘ったれの私は生かされております。
どうぞ良いお年をお過ごし下さい。
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by tyukita | 2006-12-31 23:54 | 0610~助走

ゆるみきった

どうやらわたしはゆるみきったようだ。
インフルエンザの予防接種をしてもらいに間違って歯科に入ってしまった。保険証と診察券も出してしまった。
画集をネット注文するのに2000冊(画集が2000円だった)注文してしまった。親切に確認のメールをいただいた。

大丈夫だろうか、自分。
お金稼いだり、できるんだろうか。今だけだよね…きっと…たぶん…。
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by tyukita | 2006-12-23 01:12 | 0610~助走

10nennburiing

今日、中学校の友達と10年ぶりに会った。
いろいろありまして、奇跡的に連絡をとることができたの。
中学校のときは一緒にいる時間長かったのに、意外と10年も連絡とってなかったんだな~とちょっと不思議なかんじ。
あ~でもちょっと感動。
私の25年間の人生で、中学時代だけなんか異彩を放っている。
自分と全然ちがうグループがあることに初めて戸惑った。急に人見知りしたり、男子と話せなくなったり、自分が浮くことがすごく怖かったりした。非常にいい経験だったと思うけど。
中学校の頃はいろんな人がいて、でも距離とればいいっていうほど割り切ることはできず、いじめもあったと思うし、盗難事件もあったり、自分自身も妬みとか嫉妬とかあったりして、なんか難しい年頃だったな。部活とか、楽しいこともたくさんあったけど。

私中学校の友達とほとんど連絡取り合ってないの(高校もいっしょだった人とはとってるけど)。だからほんっとうに久しぶりに中学校のころの話をした。
実を言うと、今日会った子は中学校の時はどう接したらいいのかずっと模索していた子だった。落ち着いて見えて好感を持っていたんだけど、クールな彼女といると私があせってひたすらしゃべってしまい、いつも会話の後反省をしていた…。でも、今日は、昔と変わらないんだけど、やっぱりなんか変わってて、すごく話しやすかった。
話を聞いてたら結構大胆な人だったんだな~と驚いた。
私も、あせらず、楽しく、話すことができた。

こういうのって結構感動だ。
山登りするときに、全然違うコースで上っていても、頂上が近くなるにつれ互いの距離が近づくんだな~と思う。昔話せなくても、今話せる人とかいるし。てか、中学校のときとは違う角度で見るようになったのかな。まあでも、年とともに話せる人は増えてることは増えてる。10年、ただ過ぎてしまったような気がしていたけど、それなりに身についたものもあるわけだ。
あの頃、沖縄の高校に行きたいと思って、本気で調べたりしてた。アフリカに行く前に、沖縄で暑さに慣れておかなきゃとか言って。「暑さに慣れる」っていうのが重要だったんだな。

10年前の自分に 「そんな心配しなくても、今悩んでいること、不安なこと、10年後の今、結構解消されているよ」 と言ってあげたい。 そして、10年前の自分に言いたいことを、10年後の自分も今の自分に言いたくなるだろうと予想する。今直面していることが、10年後には過去の話になっていることを楽しみに、もうちょっと努力家になろう…。
努力しよう!努力しなよ!まずは目下3年後が勝負だ!3年後から次の軌道に乗るぞ!
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by tyukita | 2006-12-22 00:53 | 0610~助走

悩み

悩み、悩み、悩み!
わたしってこんなに悩むやつだったけ。
すっかりひきこもりになって、雪が降ってからはますますインドアになって、
悩む作業に拍車がかかっているのだろうか。
なにに悩んでいるのかさえ、よくわからなくなってきた。
恋愛のことから、寒さ打開法、訓練前にどこに前泊するかとか、戦争のこととか、
おじちゃんちにいつ行こうかとか。考えが発展せずに、ただ眉間にしわを寄せてる。これこそ、「悩む」というのにふさわしい現象だ!

わかった!!要するに暇なんだ!!暇だから悩むんだ。
考える時間は必要だけど、悩む時間はあまりいらない。申し訳程度でいい。
最近はなんか、堂々巡りばかり。
暇だから悩むんだなー。悩む暇があるなら、もっと建設的なことに忙しくしよう!!
ってかこう言ってられるのもあと二週間くらいなんだな。

もう、十分、充電終わったよ。おかげさまです、ありがとうございました><
頭で試行錯誤すること、大体終わって、飽和状態だー。
超忙しいのはいやだけど、やりたいことなら結構いくらでもできるよ。
でも、睡眠時間は確保したいよ。贅沢か?
あー、よく考えよく眠りよく移動した半年だった。自分比だけど。
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by tyukita | 2006-12-20 02:03 | 0610~助走

Amazing Grace!!

『硫黄島からの手紙』を観た。
これは『父親たちの星条旗』に続く作品で、二部作を通して日米両国の軍人とその家族が描かれている。
ごめんなさい、観た映画観た映画褒めてばかりで単調な感想しかしてませんが、正直素晴らしい映画だと思いました。

『父親たちの星条旗』はドキュメンタリー色が強い印象で、『硫黄島からの手紙』はキャラクターもはっきり分かれていてストーリー性の強い印象ではあったが、全体的に静かで、感情的ではなく、おさえておさえて語っているような感じだった。
善悪がはっきりしていない映画が、まずは、わたし好きなんだ。
人がたくさん死んだけど、死んだことへの涙ではなく、その台詞の高貴さに、または悲しさに、温かさに涙が出た。
主演の渡辺謙さんが、クリント・イーストウッド監督のことを“grace(高貴、上品)”と評していた。監督もテレビで拝見したことがあるが、静かで、感情的にならず、でも確実に語る人だと思った。
映画もそんな感じでした。

なんていうんでしょう。
grace には、高貴、上品、という意味のほかに、(神の)恩恵、慈悲、という意味があるそうです。

賛美歌の“Amazing Grace”の歌詞に、

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
心に敬愛をもたらした 神のお慈悲 神のお慈悲は 恐怖をやわらげてくれた

というフレーズがあります。

なんていうのかな、わたし、死ぬのが怖いからな。
この恐怖から逃れたいといまだ思っているわけです。
心を平安に、平安に、得られぬものに嘆くことなく、過ごしたいと思うわけです。

「高貴さ」「恐怖のない状態」「感情的にならず、静かに語る」…、
これらはすべて同じようなことなんじゃないかと思うのです。
なんか、渡辺謙演じる栗林さんにおいても、この賛美歌においても、
なにか大きなものに自分を託しているというか、非常に身軽な感じがするのです。環境・状況に左右されない静かな心の状態、を手にしている気がするのです。

どんな環境であっても、心だけは潰されたくない。
どんな過酷な状況でも、逆にどんなゆるい状況でも、心だけはひとつの方向に向かっていたい。それは余計な荷物を下ろし、シンプルに静かに生きるために必要なことなんだと思う。
他人にいくら「不幸な人生だった」「心が潰されてもおかしくない状態だった」と思われても、やはり、心しか私の自由になるものはないから、心だけは、潰されずに幸福であったと言いたい。幸福の基準は何かというと、まだうまくいえないけど。

いろんな意味で、世界中の"Amazing Grace" に敬意を表します。
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by tyukita | 2006-12-18 01:16 | 0610~助走
研修はとっても面白かった。
講師の方々も、話がわかりやすくて、飲み込みやすい内容だった。
ディスカッションが多くて、熱くなった(笑)
関心のベクトルが似ている人たちが集まるので、どの人と話しても面白かった。

今後二年間の目標
思ったことは、
私は「青年海外協力隊」として行くのではなく、「青年海外交流隊」もしくは「青年海外経験隊」くらいの気持ちで行くのがちょうどいいのではないか。ということ。
ほかの職種は、わかりませんよ。シニアボランティアの人も、わかりませんよ。
あくまで、実務経験の極めて乏しい私が、資格など不要の職種で、海外に出たところで、なにを協力できるのか?お世話になりっぱなしで、協力できることなんてあるのか?ということです。「自分の器で最大の仕事とする」っていったら、「交流」だ。っていうか、交流の価値も相当のものがあるじゃないですか。
というわけで、以下の四つが、軸となる目標です。

①日本と世界のために、日本人の印象を良くすること

②日本と世界のために、グァテマラをもっと深く知り、その経験を帰国後に社会に還元すること

③日本と世界のために、パラダイムシフトしても変わらない人類普遍の価値を見つけ、その学びを帰国後に社会に還元すること

④日本とグァテマラのために、現地でお役に立てそうなことがあればお手伝いすること
(言いようによっては結局すべて自分のためですが、そんなことを言うとややこしいので割愛します)

これらは目に見える成果がすぐに出せるものばかりではないから、「税金の無駄遣いじゃないか」と言われるかもしれませんが、それはいたしかたない。目に見えないものはわかってもらいづらい。でも、帰国後のことも含めて、この「交流」というか、「いろんな場所に信頼関係を築く」というのは、とても価値のあることだと思う。そうでしょう、なにをするにしても、チームになるのなら。

空回りしてしまう「協力」があるのはなぜか
~「協力」の必要性をどう判断するか~

思うんだけど、
先進国の直接的な利益のために行なわれている援助はともかく、純粋でまっすぐな若者が、途上国に行ったときに「余計なお世話」的な行動をしてしまうのはなぜでしょう。機械の導入がいい、歯ブラシをすることがいい、識字率が高いほうがいい、という前提のもとに海外に行って、思い通りにならないときに「途上国の人は向上心が足りない」という感想を持ってしまうのはなぜでしょう。ある程度の技術と経験がある人間が、要請内容に沿った成果をあげなくては!と意気込むのはわかるのですが、現地の人の関心が全くなくて空回りしてしまうケースもあるのはなぜでしょう。
こんなに優しくてしっかりした人が!?というOGさんが、「空回りして辛かった」という体験談を話してくださったから、実際に現地に行ったら私なんてどうなってしまうのかわかったもんじゃないけれど、今のところ、以下のように思うのです。

(協力者となる国が、直接的で可視的な利益にあまりこだわっていない場合)
他国の援助が必要かどうか判断するのは、技術的にどうのこうのとか、近代化(西欧化)がどうのこうのとか、そういうことではなくて、

『住民の多数に納得された秩序のもとに生活が営まれているか否か』

ということではないのか?これが判断基準ではないのか?
秩序というのは、なにか問題が起こった時、パターン化された対応策があり、解決に向かってその段階的な予想をたてられる体制のことです。
協力隊は、危険地域には行かない(ことになっている)ので、武力の面においては、それなりの秩序がある地域に赴く(ことになっている)。ただ、医療において、もしくは教育において、あるいは農業においてetc、秩序が乱れて行き当たりばったりの対応しか出来ずに困っている地域があれば、そこに「協力」の必要が生まれてくるのではないか。
そして、
『秩序が乱れていない場合(現地の人がそんなに困っていない場合)、そんなに協力することはないのではないか』→その場合は臨機応変に、なんかできそうなこと、必要と思われることを見つけてやってくればいいのではないか。
行ってみたら、協力国が思っているほどまたはその国の政府が思っているほど、国民は困っていなかったりもする(逆に、本当は困っているけれど諦めゆえに困っている自覚がない場合や、要請内容どおりにちゃんと困っている場合もたくさんある)。
つまりは、行ってみないと(もしくは行ってみて一定の期間以上コミュニケーションをとってみないと)、秩序があるかどうかなんてわからない、ので、行ってから考えた方がいいこともたくさんあるということだ。「交流」のあとに、「協力」の必要性を見出すことだ。

心がけの話
最悪なのは、日本の価値観にとらわれすぎて、他国の暮らしを美化or卑下すること。
国が違うくらいで異なってしまう価値観なんて、大した価値じゃあないと思うんだがなあ。
というかそれは「手段」としての価値であって、「目的」としての価値ではない。
パラダイムが変わっても、変わらない価値。それはなんだろう?
人類に共通する目的としての価値。それはなんだろう?
それさえ死守できれば、私はもっとシンプルに、ニュートラルに生きていける気がする。

あと、「理解すること」と「染まること」がイコールにならないように。
あくまで、私の得意分野は「日本国津軽地方のこんな家庭のなかで生きてきたこと」なので、愛着もあって得意でもあるものをわざわざ捨ててしまわないように気をつけたい。

そんなところです。
不安もあるけど、気持ちは盛り上がっている。
これからだ。
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by tyukita | 2006-12-15 12:45 | 0610~助走

つれつれつれつれ

ウノ・ドス・トレス ウノ・ドス・トレス
玉木宏とオダギリジョーについて。
どこから見てもかっこいい。特に玉木宏はもっとトーク番組に出てほしい。

旅について。
とことん旅をする。そしてとことん家に帰る。
家のような場所を探しているのかなー。将来はこげ茶の家?カフェを作りたい。白ばかりはだめ、落ち着かなくて。あるポスターに
『考える時間じゃなくて、考える場所がなかったんだ』
というコピーがあったけど、ふむふむ。そんな場所が家ならいいな。
旅先でもそんな場所があればいい。そんな場所に人を呼びたい。

1・2・3 アン・ドゥ・トロワ
目指すところ。
すごい!と思う画家さんはいるけれど、私はやはり漫画の線が好きなんだと思う。千住博さん、児島虎次郎さん、異世界のような絵で感動したけど、井上雄彦さん、いくえみ綾さんのような写実的でもありデフォルメもされているような絵を目指すところとしている、これでも。あ~眠い。あ~すごい。

モッ・ハイ・バー
9条について。日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和をまことに希求し、国権のはつどうたる戦争と。武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。/前項の目的を達するため、陸海空軍そのたの 戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

アメリカのどんな目的で、日本がどんな対応で、この憲法が作られたのか、もっと詳しく知りたい。どんな思惑と願いがあったのか、よくわからない。


ウノ・ドス・トレス ウノ・ドス・トレス ウノ・ドス・トレス 愛国心について。ウノ・ドス・トレス
「自分の命と引き換えに日本を救えるとしたらどうしますか?」

という質問があったが、実際なってみないとわかりません。
私戦争の夢を見ると、案外結構人よりも自分の命を優先しているだよな~。
しかしながら、そのときの世界にとって、日本よりも自分の方が必要とされていたら(というケースはないと思うが)、自分が残る道を選ぶんじゃないか。そのときの世界にとって、日本という国が必要であったら、日本を残すために自分が死ぬしかないならそうするしかないんじゃないかい。でもそれは自分で判断できることではない。お任せします!大きな流れに。
日本という背景のもとで育ったし、日本に切なくなるくらいの郷愁の念も覚えるけれど、不思議だ。『世界のための日本であることが、日本のため』という非常にややこしい愛国心を持っている。残す意味を感じない国だったら、郷土愛はあっても、滅びる流れは止めないかも。でも、私は日本はこの世界にとって、非常に意味がある国だと思う。非常にすばらしい国だと思う。日本にできることはこれからもっと増えてくると思う。それは私が日本人じゃなくても思うと思う。

郷土愛について。
郷土愛は、私的な感情。愛国心は公的な感情な気がするなあ~。でも辞書見てもよくわからなかった。

定住について。
日本に定住したいけど、日本のどこに定住したいのか、まったくもって想像できず。

説明について。
絵描きはあまり作品についてあれこれ言うべきではない。

写真集について。
でも、藤代冥砂の『もう、家に帰ろう』のチョコチョコ書いてるコメントはよかった。
うまくやったもん勝ちだね。

自分について。
作品についてあれこれ言いたい。

まとめ
日本はわたしのものならず。わたしの体もわたしのものならず。
bettterと思われることをヒイヒイやっていくのみ。
困難は自分を磨くために必要だけれど、わざわざ車に突っ込んでいくような意味のない困難は避けたい。
では、そろそろ研修だ~若干緊張。
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by tyukita | 2006-12-06 14:06 | 0610~助走

日記です

ばれーいいですね。観ていて楽しいスポーツ№1です。スポーツは自分の弱みや強みが露呈するから、とてもいい修行になりますよね。その気もないくせに言うけど、なにか運動してみようかな~。最近の精神戦といったら、ダイエットくらいかな。ダイエット、学ぶこと多いですよ…。

今日おばあちゃんを連れて吹奏楽のコンサートに行った。
月並みだけど、音楽いいですねー。吹奏楽団には一見、アナウンサーの安住伸一郎さんによく似た人が沢山いた。ちらほら、ラグフェアーのメンバーみたいな人も。言わんとしていることがわかりますかね(笑)。女性は、あれですね、細身で髪の毛は基本ストレートでさらさらで、可憐な感じで。興味が似ていると格好も似てくるのでしょうか。しかし、普段背広で眼鏡で物静かな感じの良いパパが、急にウッドベースなんて弾きだしたら、「パパ、かっこいい!」と家族で惚れ直すだろうな~。かっこよかったです。いやあ、月並みですが、音楽って心に大きく作用して、素敵な夜にしていただきました。

祖母が、周囲の人に妬まれるらしい。辛そうに話す。辛いんだろうな。ときどき行く分には、優しそうな人が多い気がするんだけど、よくわからない。妬んでる人が物を隠すんだって(でも祖母のふとんの下から出てくることが多い)。あと、家(祖母の実家)のものが誰かに盗まれたという。見えるんだって、その映像が。
私が推測するに、祖母は若い頃、誰かに妬まれてものを盗まれたような体験があるのではないだろうか?それをひきずっているんだろうか。今現在は、実際のところ盗まれていようがいまいが誰も困らないんだけど、祖母は本当に困っている。よく知らないけど、祖母の実家は結構裕福だったらしいから、そんなこともあったのかもしれない。事実はどうあれ、現在も祖母は、「妬まれて盗まれる」感じが続いて困っている。
でも、わかる気がする。私年取ったら、「発表会の前なのに何も準備していない!」ってパニックになるだろうな、と思う。よく夢でみるのだ。まあ、今からしっかり準備する習慣を身に付けておいて、そんな失敗ありえない、っていうところにまで持って行きたいものです。
あ、誤解のないように。祖母は優しい人です。品があって、素敵な人です。だから誰でも持っている不安とか習慣が、年を取るとだんだん露呈して出てくるんじゃないかな~と思う。

今日ウルルンでスペインの飴屋さんをやっていた。
そこのオーナーが「トミー」というらしい。それだけで、わたしはいつかスペインに行って、そこのお店に行こうと90%心に決めた。ビデオもとった。美術品の修復のバイトとかあるらしいし、なんだか、私の好きなものがたくさんありそう!

と、盛り上がる11月下旬。
今週青森を発って、友達に会ったり、研修に行ったりするから、俗世間に戻ることにわくわくしてます。まあ、どっちも大事だ。じっくり考える時間も、外で自分の歪みを矯正してもらう時間も。
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by tyukita | 2006-11-27 00:34 | 0610~助走

青年海外協力隊

親や周囲の環境に許してもらって、住み慣れた日本を発ち、話しなれない言葉と接し慣れない文化の中で、二年間、仕事をして帰ってくる。仕事といっても、私の場合資格のいらない職種だから、目に見えて役に立つというよりは、日本の文化を忘れずに現地の良さも学ばせてもらう。いろいろな問題が生じても、それはそうだろうと覚悟して自分で選んだことだし、日本に戻った時に懐かしく思い出せるように消化するように心がける。自分の器なりにできることがありそうで、まあそんなに寒いところでなければどこの国でもいいんだけど、やはり派遣が決まった国というのは親しみも沸くし、いろいろ知りたいし、受け入れてくれるだろう国には感謝の気持ちが出てくる。

まだ訓練も始まってないのに、随分とおこがましいけれど、わたし人生もこんなもんじゃないのかな~と思うんだ。手塚治先生の有名な「火の鳥」を読むと、今この目に見えている自分の生活が非常に一瞬の出来事のように思えるんだよね。また、夜空に無数に煌く星も、あれすべて太陽のような恒星だというんだから、その周りに太陽系のようなものがあってもなんの不思議もないと思うんだよね。あの煌く星の周りに地球のような星があっても不思議はないだろうなあと思うんだよね。マクロも果てしないけど、ミクロの世界も、わたしの体に居る微生物が「ここが全て」と思っているようにわたしも地球がすべて、と思っているかもしれないな~と思うんだよ。そんなこと考えると、人間の見えてるこの世界があまりに小さく思えてくる。命の長い短い、規模の大きい小さいにこだわれば、下をみればキリがないし、上を見てもきりがない。微生物より人間は長生きだから価値があるかっていったら、そんなことじゃなくて、微生物は微生物の営みをしている、人間は人間の営みをしている、っていうことが偉いんだと思う。命の長さ、命があるかないかだけにこだわれば、ただでさえ儚いこの世界が、余計儚くなってしまうんだよね。協力隊だって、行けばいいってもんじゃない。自分のそのときの器なりに、3なら3の仕事をしてくることが大事だと思うんだよ。別に5の仕事してこなくても、3の仕事はできそうだ、と思って行かせてもらえるんだから、5の評価を求めて挫折するよりは、3の仕事はやってこようと思って行けばいいと思うんだよ。人間の人生だって、大体何年くらい生きるか予想できるんだから、その期間で自分がする仕事終わったら、それでいいじゃん、と思うんだよ。
「人命は地球より重い」というのはあまりに有名な台詞だけど、その真意はともかく、字面だけで考えると、じゃあなんのための命か?って思う。みんななんとなく命は大切だと思ってる。でも、命の大切さを教えるべき教育の場で、教師が自殺してるんだから、子どもだってしてもいいかもな、という気になる。結局その教師もなんで命が大事か、命が大事だという理由を自分のなかに落としてないから、自殺できるんだと思う。口で言ってても、本質的に納得していないなら、いつでも覆せるもの。わたしは、命より、その命でなにをやるかが大事だと思う。任期が終わって日本に帰るのは何も悲しい事ではない。現地のひとと別れるのは悲しいけど、やっぱり、帰国は嬉しい事だ。「おつかれさま!」と自分にささやき、日本の家族やともだちに会う楽しみで、頬をゆるませて帰ってくるだろう。問題は、任務が終わってないのに帰国してしまうことだ。「なにやってたんだ」と怒られても仕方ない。なにより、自分が不甲斐無くて苦しいんじゃないかな。死ぬ事も同じ感じだ。別にそんなに悲観視することではないと思う。でも、わたしはまだまだ、やるべきことを終えてないと思う。やるべきことをやってないのに死ぬのは、ハプニングだとしても、ちょっとショックだな、と思う。わたしの尊敬する、これもまたあまりにも有名な坂本龍馬先生の台詞を引用させていただくのは申し訳ないが、お姉さんに宛てた手紙のなかで、こうおっしゃっている。「私をけつして長くあるものと思召しては、やくたいにて候。然るに人並みのやうに、中々めつたに死なうぞ。私が死ぬる日には、天下大変にて、生きてをりても役にたたず、をらずとも構はぬやうにならねば、中々こすい奴で死にはせぬ」。そして結局、薩長同盟、大政奉還の偉業を成し遂げた後にあっさり死んでしまった。ただこれは非凡な人生である。けれど、「役に立たないようになるまでは死ぬつもりはない」と言う気概には、「なんだか命は大事みたい」という現代におけるあやふやな大前提よりも私は魅力的に思えるのだ。別に長寿にこだわらなくとも、短命を美化しなくとも、命がけで働く人間を嘲笑しなくともいいじゃないか、と思う。任期は与えられているんだから、任期中にやれると判断された任務をやればいいじゃないか、と思う。死んだように生きずとも、生きてないのに死なずとも、言葉は過激だが、生きて、死ね!と思う。どうもこんなに自殺されると、あーあーあーあーあー。引き戻したい。
と思ってしまう。なんともやりきれない。あー!!悲しい。私も、いつか死ぬなら、その前に生きなきゃな〜。

特に何かもの申したいわけではない。ただこう思ってるだけだ。一気に書いて少々呆然としている。しかしながら、マクロでみてもミクロでみても、こうも果てしない世界にあって、もう、命の長い短いにこだわってもきりがないんじゃないかと思う。与えられた任期で、自分の器なりに、学ぶ事は学び、残せるものは残してから住みなれた安楽の場所に帰ってくればいいんじゃないかと思う。任期中に人間として、というよりは自分として何を営むか、だと思う。日本に慣れてしまったら、海外は戸惑いが多いかもしれない。不自由は多いかもしれない。でも、そのなかで、得るものがあるはずと自分で決めて行くんだし、そこで自分の器なりに(←ここが重要)残せることもあるはずだと思って、自分で決めていくんだ。人生も然り!そして結構楽しめることも多いと思う。あ~頭が疲れた!
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by tyukita | 2006-11-23 22:46 | 0610~助走

とくになにもないけど

なんも頭に思い浮かびまへん。
最近うちでは流行っているのが青森ローカルの『いいでば英語塾』という番組。津軽弁と英語を同時に学ぶことができるのです。これ、内輪ネタなのかな?結構笑っちゃう。vol.3の『ええっ ダメダメ!』のフレーズの回とか面白かった。くだけて使っている言葉を冷静に分析されると、その温度差に笑える。

津軽弁では曖昧母音とか、巻き舌とか、結構使うらしい。それなのにわたしは巻き舌ができないの…。がっくし。練習中。ぼそぼそ話す人が青森に多いってはいうけどね。私津軽弁のイントネーションはばっちりなんだけど、わからない単語とかあるので、これで少し勉強しなきゃなー。
でもこの番組でやってる西北津軽弁と、わたしの住む青森市の津軽弁はちょっと違うらしい…と父が言ってた…。でも、聞いてればちょっとわかる。活字のみを見るとかえってわからない。
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by tyukita | 2006-11-21 20:26 | 0610~助走