青森、沖縄、グァテマラ、岡山で生活してきたカフェ好き主婦の自由なブログです。


by tyukita
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カテゴリ:0703~グァテマラ1( 12 )

翡翠が見たい

自分のことって自分でもよくわからない。
よく「自分のことは自分がよくわかる」なんて言われるが、 謙虚さ が歪んで働いて、自分の奥底の気持ちを言葉に出せなかったりする。微妙なニュアンスを言葉で説明するのは大切なことなのに。自分のわかっている自分なんて、全体のほんのわずかだ。

自分の潜在意識って、わからないけど、色とか音楽とか、感覚的なものに現れたりしないのかな。何色が好きだから自分の状態はどうだ、なんて判断はできないけれど、今わたしは無性に翡翠が見たい。カワセミの色。そしてなぜかわからないけど、翡翠というと琵琶湖が思い浮かぶ。一回しか行ったことないけど。琵琶湖に行きたい。夢で行けるものなら行こうかな。最近もまたよく寝ているから。
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by tyukita | 2007-11-13 06:49 | 0703~グァテマラ1
頭が痛いのが先週の土曜日からつづいている。暑い時と、自分が熱い話をしていると痛くなる。コンタクトが合わなくなったか、日焼けして眼が疲れたのかな〜と思ったけど、眼科に行ったら違った。
原因はいろいろ思い当たるけれど、決め手がない。最近煩っていた五月病気分を払拭すべく、先週やっきになって暑い中外をうろついていたせいなのか(帽子はかぶったけど)、頑張ったわりに空回り感が残ってやけになって頭痛を起こしたのか、はたまた自分の活動をどう進めて行こうか、カウンターパートとどう連携をとっていこうか、考え続けた結果知恵熱のようなものがでているのか……。酔っぱらいおじさんにセクハラ発言をされたせいなのか。それで一気に脱力してしまったのか。結局それらすべてが原因なのか。頭が痛い、けれども、痛くもなりたいよ、という気持ちもあったから、今となっては精神的なものと肉体的なもの、どちらが先かはわからない。
それらすべてを包括して言ってしまうと、「空気が読めないことに疲れた」のだろうか。心も体も。この灼熱の場所でどの時間帯にうろつけばいいのか、どれくらい頑張ればいいのか、頑張ったあとどんな見返りを求めればいいのか、約束と時間は守るべきものなのか、人によるのか、それならわたしはどう振る舞えばいいのか。

人の活動に、ましてや人の人生に判断なんかつけられないし、だれの意見も参考程度にとどめて、わたしは、わたしの判断で生きていくしかない。けど、休むけど、津軽弁も話すけど、スペイン語も覚えたいし、心は折れていないし、まだまだこの土地で生きていきたいし、ここの空気にももっと慣れたい。休む、けど、「頑張ってる」パフォーマンスよりも、コツコツ、いつか実になる活動がしたいから、そのときそのときベストじゃなくても、ベターと思われることをするしかないのかな。

というわけで、今首都の隊員連絡所にいる。そのあと、任地に戻ったら、外をうろつくのは午前中だけにしよう。カウンターパートのにそうアドバイスをもらった。午前8時〜11時はそんなに陽が強くないから歩けるけど、陽が強い午後は、市役所でデスクワーク。それがベター。もう、あんまり体調崩したくないから。体調悪いと心も挫けがちで、またその逆も。あと、カウンターパートはこんなに働き者なのに、なんでわたしはそれができないんだろうと思ったけど、わたしはこれまでここで生きてきたわけじゃないんだから。多少前提条件が違うんだから、そのへんは目をつぶることにして。あ〜でも、こんな自分に少々へこむなあ。うまくいかないでだだをこねている子どもが多少言葉を覚えてかこつけてる状態だ。まあいいんだけどさ…。でも休む。
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by tyukita | 2007-10-28 07:01 | 0703~グァテマラ1

五月病

「五月病」とは?
「五月病」という名前は広く知られていますが、実はこれは医学用語ではなく……もともとは、大学生が入学をして一ヶ月を経たころに見られる……主な症状として、不眠、動悸、披露、朝起きられない、食欲不振……不安、焦り、落ち込み、何をするのもおっくう……「五月病」は、新しい環境に適応する過程で、知らず知らずのうちに、仕事や生活、人間関係などのストレスを溜め込んでしまうことがおもな原因……長引くと「うつ病」に移行することもあります。一番の予防策・解決策は、自分に合ったストレス解消法を……人に話をすることで……焦らず気長に構えて、自分なりのペースで新しい環境に……うんぬんかんぬん。


なんか、慣れちゃったのかな。ここに。それかなんか、人間関係とかで原因があるのかな。ちょっと気持ちがだれてきたな〜。でも、ひとつわかったことは気分の浮き沈みぐらいなら「致命的ではない」。無視するわけじゃないけど、意識し過ぎてもね、きっと余計だめなんだよね…。

とかいう文章を書けるようになった今は、もうなんでもなくなってきたりしてる。
原因は、自分の活動に周囲のひとが共感してくれているかの不安で、そしてしていることをいちいち説明したり、むこうの考えをいちいち確認するのに疲れてきたことらしい。解決法は、ある程度がんばって生きているなら、ひけめを感じる必要はなく、たとえ感じていても気にせず明るく挨拶すること。「これでいいのだ」という雰囲気を周囲にも自分にも漂わせること。あと、もう少しで向こう側が見える、というときにこそ疲れると思うので、もうちょっとだけ我慢して、トンネルを掘り続けること。あとお母さんに電話してメールしたら気持ちが楽になったなあ〜。感謝。
ということで、今日は花の金曜日。
コーラ飲んでマンガ読もう。あとごはんしっかり食べてね。
写真はいつも食べてるカルド・デ・ポーヨ(鳥のスープ)とグァナバノ(左上)っていうフルーツ。右上にあるのはアボガドかな?
あ〜今日は、遊んで過ごしちゃったな〜。暑かったしな〜。まあこんな日もいいよね〜。
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by tyukita | 2007-10-20 07:45 | 0703~グァテマラ1

CONDEA AMOR

ペテン県にもゴーヤはあって、CONDEA AMOR と言われている(でも、地域によって、人によって呼び方が異なるので、どれが正しいのかわからない)。
そしてなんでAMOR(愛)なのかわからなかったのだが、熟したオレンジ色のゴーヤを見たら、なるほど、愛の色ともいえなくもないなあと思った。また、中の種が真っ赤で、まさにpassion(情熱)の色だった。しかし、愛は苦みもあるからだ、という人もいて、ほんとの名前の由来はわからない。
恥ずかしながら沖縄では緑のゴーヤしか見ていなかったのだが、こちらでは、熟したゴーヤの種に付着した赤い部分(なんて呼ぶのかな?)を食べるらしい。逆に緑の状態は食べたことがないと言われた。沖縄でも赤い部分ジャムにして食べるって聞いたけど…見たことないなあ。
ペテンと沖縄って気候が似ていて、栽培可能作物も似ているから、互いの食文化を交換したら面白いと思うんだよなあ。沖縄も、今はアメリカンフードが入って来て肥満が増えているけれど、もともと体にいいものを食べていたんだし。こっちも事情は同じで、マヤのひとたちは、森のなかの素朴な食材を食べていたけれど、近年、食生活が変わって糖尿病が増えている。お互いの文化を見直すという意味でも、紹介しあったら面白いと思う。

ちなみに、がじゅまるはpalo de amor(愛の木)だって(注:本当にがじゅまるか確認していない。しかし見た目は確かにがじゅまるだった)。抱きしめてるからだって。でも抱きしめられた木は最後死んじゃうんだよね。愛するが故に殺してしまうのか…なんて考えたら感慨深いものがあったけど、同じ植物でも命名にその土地柄がでていて面白いと思った。

昨日初めてティカル遺跡いったよ!
今日はもう時間がないので、また今度レポートします。
いつか、ちゃんとサンホセの情報をまとめるべきだよなあ。
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by tyukita | 2007-08-31 08:37 | 0703~グァテマラ1

治安がいいほうがいい


 最近私の任地周辺は物騒で、となりの地域(私が前幼稚園の壁に絵を描きに通っていたところ。徒歩20分くらい)で家族三人が銃で撃たれたり(そこんちのお父さんが人さらいだったから復讐された、と言われている)、車で30分くらいのところだけど、身分証明書ねらいで若い女性が殺されたり(しかも市役所の同僚の姪御さんだった)、そんな事件が同じ週にあって。わたしの任地周辺(買い物に訪れる程度の距離)でこどもさらいが多くて、臓器が取られた遺体が見つかったりしている。なんか恐ろしいよ。
 チマルテナンゴってところ(私の任地からは遠いが他のボランティアが赴任している)では泥棒が住民たちのリンチに遭って、ひとりは生きてるけどひとりは殺されて燃やされたりしてね。まれな事件…というわけでもないみたいで。友達のボランティアがいるところからは離れてるところらしいけど…。なんだか恐ろしいな。警察が機能していないため、住民自身で制裁を加えるらしい。

 今グアテマラは選挙なんだけど、新聞の記事で、次期政権に何を期待してますか?ってインタビューがあった。その中で、"Terminar Violencia(暴力の終結)”って答えている人がいたが、わたしも本当に同感だ。

 日本人は平和ぼけしていて、バカだと言われたことがあるけど(こういうことって、自国民が言う分にはいいけど他国民に言われると腹がたつ)、ある意味、それはすごいことなんだと思う。わたしの隊次の訓練所のアルバムに、「世界に笑顔の花を咲かせにいきます」って書いてあるんだけど、そういうおめでたいこと言えるっていうのは、きっとすごいことなんだなあと思う。治安のあまりよくない場所にいて、自分や家族の安全を守ることに多大な労力と神経を使って、ときどき馬鹿らしくなるよ。必要なことなんだけどね。特に平和ボケしている私なんかは、疲れる。神経使ったり、神経使わなかったことを後悔したりして、疲れる。こういうことにエネルギー使わなかったら、もっとできることも増えるんじゃないかと思ってしまう。

 それにしても、なんで自分ばっかり愛している気になっていたのかな。
 私が大事に想う人がいるように、私のことを大事に想ってくれている人たちがいること、謙虚とも投げやりともつかない気持ちで、あまり理解してなかったな。それはそばにいるとか、いつも思い出しているとか、そういう行為で測るんじゃなくて、その人の心に住めてるってことなのかも。なにかのおりに思い出して案じてもらったり、なにかのおりに、思い出して会いたいと想ってもらえたら、それはすごいことだ。私がなにかのおりに、会いたい人がいるように、話したいひとがいるように、わたしのこともそう想ってくれる人がいる。もう既に甘えてばかりの人生だけど、もっと本当の意味で甘えていいのかもしれない。もっと愛されているつもりでふるまっていいんだと思う。こっちの友達に元気で挨拶をして、日本の家族と友達に元気で再会することが、わたしの最大のミッションなんだ。自分の身になにかあったら、ここでの友達にもなんか申し訳ないし。

 まあ、そんなにナーバスになる必要はないんだけどね。「福と為す」程度の災いしか起こらないから。でもやっぱちゃんと気をつけます。
明日もまた、できること、がんばろ。
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by tyukita | 2007-08-21 06:05 | 0703~グァテマラ1

首都にいます

隊員総会というものがあって首都にいます。
ネット環境がいいと、やっぱりいいなー。
用がなくてもパソコンに向かってしまうというのは、ときたま「時間をむだにした!」と思っちゃたりするけど、調べものとかあるときは、早くページ開けるほうがやっぱいい。

早いなー時間が経つのは。
もう新規隊員がやってきた。
月並みなことで悩むけど、そして月並みな解答が返ってくるけど、
明日、この散々な頭を整理しよう。

首都に来ると気候も日本に近いし、隊員同士で日本語話すし、JICA
のオフィスに行くと自分は協力隊員として日本から来てるんだという実感が沸いて、なんか不思議な感じだった。現実に戻ったというか、本来の自分に戻ったというか。
沖縄とかグァテマラでの生活は、自分が持っていない文化や風土に惹かれて訪れている、「ちょっと長めの旅」なんだろうなあ。
やっぱりわたしは日本の自分の地元に根がある人間なんだなーと思う。
地元バンザイじゃないけど、いつかはあの自殺率も失業率も高い、あの寒くてぶっきらぼうな、自分の地元の役に立ちたいと思う。でも、それは青森にずっといたら、そんな役に立つ人間にはなれないなーと思う。私は外で経験したがる人間だ。でもそれは帰る場所があるからで、帰ってからやりたいことがあるからなんだなー。
はー。
活動は、困ってないけど、悩むなー。
早く、越えよう。
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by tyukita | 2007-07-21 15:36 | 0703~グァテマラ1

何かが変わったなあ


今日は、背筋を伸ばして感謝します。

なかなかきれいに並べた言葉に勝る気持ちが持てなかったりするんだけど、なかなか夜盛り上がった気持ちが翌日の朝まで持続しなかったりするんだけど、今回は、きれいごとに負けない気がする。
ここ二ヶ月、毎週、毎週、こっちで仲良くなったともだちに感動している。
そのひとは平日はちょっと離れたところに働きに行ってて、週末にこっちに帰って来てこどもたちとアクティビティを持っているんだけど、わたしもそれにくっついて行って、もう一度1から、行儀よく生きることを教えてもらっている。
正直に生きること。感謝すること。コンセプト(倫理観)を持つこと。人の話を聞くこと。けんかしないこと。道で会った人に挨拶すること。出かける時は家の人に行き先と帰る時間を告げること。なんか、そういう基本的なこと。

友人というよりは、…教育者のような気がする。そんな年は違わないんだけど。
優しい、といえば優しいんだけど(っていうか、大抵の人って優しいと思うんだけど)、彼の場合は夜回り先生的な根気強さがある。ひとになにかを教えるのが好きで、説明しているときは少し無邪気になれてる感じ。
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by tyukita | 2007-07-13 06:53 | 0703~グァテマラ1

私は自由だ。

tu eres libre
tu tienes soberanía

と、先々週くらいに友人に言われた。話の内容は割愛するけど、とりあえずわたしが自分の行動に自信が持てなくって相談にのってもらっていたときのこと。
その人はもの静かな人で、私をniña(少女)のように丁寧に扱ってくれるから私大好きで、そんな彼に「君は自由だ、主導権は君にある(たぶんこんな感じの意味だと思うんだけど…)」と言われた。彼の本意はちゃんとはわからないけど、人目を気にしながらの自分の行動を見透かされたようだった。

以前、その人に「君の人生で一番大事なものは何か」と聞かれたときに「自分の名前であるとか、自分の生まれ育った場所であるとか、自分の根本的な性格であるとか、そういう自分にしかないものが一番大事」と答えたことがある。
そしたらその人は「そういう考えもあるんだね」って感じのちょっと驚いた顔をして「ぼくはそういうのはあまり気にならないな」と言った。私は自分の答えに結構自信があったから、逆に彼の反応にちょっと驚いた。

私は「自分らしさ」にこだわってしまうけど、そのこと自体が悪いことだとは思わない。それが「自分ひとり」という孤独感のカモフラージュであっても。ただ、ときどき人から見た自分像を勝手に作り出してるときがある。そしてその自分像に縛られている。自分のしっぽを追ってくるくる回っている犬みたい。そういうときは弱気になって、自分で決められなくなる。

うーん。

「君は自由だ」日本でもこんな類の台詞は、どこかで耳にしたことのあるような気がするけど、スペイン語でも言われた!そして、心配げに言われた!
っていうのが、ショックだったな。「自分らしさ」にこだわらずとも生きていける彼が、身軽に見えて、少しうらやましい。

Yo soy libre.
Tengo soberanía.
(私は自由で、私が主導権を持っている)

私は自由か?
見た目ほどでもない。言うほどでもない。
まだしばられている。
そして、自由に伴う責任に、怯えてもいる。
自由って、優しいし厳しい。
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by tyukita | 2007-06-21 06:53 | 0703~グァテマラ1
個人レベルの「もったいない」を考える

既に「食料」になっている生き物には申し訳ないが、
彼らの命を実感して毎度の食事をするためには大いなる想像力が必要だ。
想像だけでは追いつかない現象は、体験してみたらどうだろうか。

殺してみる?

それすらも慣れてしまうだろうか。

私たちが日々食している食べ物。
残されて捨てられる食べ物。
「もったいない」という感情をどこから連れてくればいいのか。
例えば、
世界中には飢えに苦しんで死んでいく人たちがいるのだから、その人たちを想い、捨てられていく食べ物の価値を想像してみる。
または、他の命を頂いているのだから、それを無駄にしてはいけない、と誓ってみる。
確かにこれはこれで大事な考えだと思う。
しかし、これだけではなにか足りない気がする。
地球住民に十分な食料がまわったら、余った分は捨ててもいいというわけでもない。また、「命」といえば聞こえはいいが、既に食料としての魅力を失っているものに対して(たとえば果物の皮や、動物の骨など)、我々の多数は「命」を想像できるだろうか。死んでいった生き物にとっては同じ自分の体の一部なのに。わたしたちは(少なくとも私は)言葉にしているほど、気持ちが至っていないように思う。

食べられない人を想う。お皿に載る他の命を想う。
それはそれでとても大事なことだが、私たちが「健全なる食事」をするために、もっと大事なこと、それらすべてを包括している条件があるように思う。
それは、
「食べ物を美味しく食べられるということ。そんな自分でいられること」
それ自体が幸せで貴重なことである、ということではないか。

ひとりで暗い気持ちでご飯を食べる、美味しくないと感じながら食べる。
残さず食べても心は飢えている。そうではなくて、私たちはもっと自分の心を満たすための「食事」を大事にしてもいいのではないか。

食欲があるから(食事に魅力を感じるから)「もったいない、美味しいのに」と思うのじゃあないか。その気持ちこそが、健全な「もったいない」じゃないか。

なぜこんな機会がわたしたち生物全てに与えられているのだろう。
他の生き物を殺してまで生きなければいけない機会。
しかし私が思っているよりももっと即物的で、シンプルな機会。
汚くもあり、神聖でもある。

友達と、家族と、楽しい会話があって、食後に満ち足りた気持ちになる。
大事に握られたひとつのおにぎりに涙が止まらない(ここだとトルティーヤ)。
美味しいと感じられたから、明日も生きたいと思う。

食事を軽んじると、体のみならず心が飢えてしまう!!
そう思って初めて、
「今日も喜びをいただきます」
と、私はお皿に向かって心から手を合わせられる気がする。

早くも任地に入って一ヶ月ですが、
なんといったらいいか…。
とてもいいところです。
子どもが走り回っています。
歩けば子どもにあたります。
湖でいつでも泳げます。
最近トルティーヤとアトル(暖かい飲み物)の作り方を習っています。
一度小学校でクラスを持ちました。
今、小学校の壁に絵を描いています。
あと、焼き畑による自然破壊が問題になっているので、それが最初の仕事になりそうです。
でもあと二年あるので、私がこれまでせっかく経験した失敗/成功、すべて繋げていきたいです。なんか、考えていると涙が出てきます。本当にいいところです。
ネット環境はまずまずですが、あまり、ネットをする時間がありません。
食べ物は、美味しいです。私好きです。

今はここで生きて、ここのひとたちとたくさん交流するようにしているけど、
いつも日本の皆さんの健康と充実をお祈りいたしております。
またね!!

とみー
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by tyukita | 2007-05-31 02:19 | 0703~グァテマラ1

ohisasiburidesu

元気といえば元気ですが
毎日が葛藤です。
でも こうでなくちゃね。

…といえば意味深ですが、結構楽しくやっています。
あ~なにか気の利いたことを言いたい!のですが、
ネットカフェで時間と支払いを気にしながら書いているので
キャパ越えの感じ。

みんなの健康と充実を祈っています。
ではまた!
Hasta Luego!

写真はグァテマラの古都、AntiguaのSemana Santa(聖週間)というお祭りの様子。
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by tyukita | 2007-04-07 12:22 | 0703~グァテマラ1