障害とは
2015年 05月 26日
障害を持った子ども専門の学童保育で働いているから当たり前なのだが、やっぱり、慣れる。この環境に。マジョリティーのことを普通と言うのならば、私の普通は障害がある人々になりつつある。
最近は、障害を障がいとしましょうとか、ことば遊びのようなことをしているが、本質的に、一番の闇は、障害者を受け入れられないマジョリティーの社会的障壁であって、障害を持った人そのものが害なわけではない。『生きにくさ』で言うのならば、あれこれ気にして枠組みを作ろうとする集団の方が生きにくいのかもしれない。そう意味では、「しょうがいしゃ」とは全く観点を変えた用語があってもいいと思う。今思いつかないけど…。
さてさて、近ごろでは発達障害も障害に認められ?て、あちらこちらに障害者が増えてきたようだが、ここまでくると、マジョリティーまでいかなくとも、『目が悪くて眼鏡かけている人』くらいの割合をしめつつあるのかもしれない。そうなると、もう、社会との障壁をいちいち気にしてられないわけで…色々な人がいるのよ、子どもってそんなもんよ、人間ってそんなもんよ、な精神で互いに接し合い慣れていくしかない。それはこれからの国際化にも通じる精神だし、旦那との関係、子ども、世代の違う人と接するときも役に立つ精神だと思う。「〜でなければならない」は正論かもしれないけど、それだけでは人は動かんのよ。
同じ立場じゃないんだから分かり合えないのが普通。それは誰だってお互い様。だけど、友だちにはなれる。そういうラフな感じで社会的障壁を低くできないかと思う。と、いうか、人間付き合いって、慣れだよな〜。
by tyukita
| 2015-05-26 11:14
| 世間のはなし