そうちゃんが幼稚園からおもちゃを持ってきた
2015年 07月 23日
前から二度ほど「これ、もらったんよ」と言って壊れた何かの蓋?おまけのちっちゃいおもちゃ?を見せてきたことがあったが、くれた子の名前を聞いても私の知らない子だったし、本当にそれこそゴミみたいなでも子どもにはおもちゃ?みたいなものだったので、気になりつつも問い詰めなかったのだけれど、昨日、「これ、幼稚園にもらったんよ」と明らかに幼稚園の大切なブロックをカバンに忍ばせて持ってきた。
その場で、幼稚園の先生に、そうちゃんおもちゃもらったって言ってるんですが、と念のため確認したら、先生も驚かれて、でも、「明日持ってきてね」という対応だった。
家に帰ってから、
「そうちゃん嬉しかったな、先生が気づかなくて」などと言うものだから、本当に、どうしたものかと考えた。
おかあしゃんに見せたかったらしい。それもそうかもしれないが、先生に見つからなかったことに喜びを感じたのなら、虫取りみたいな、ゲーム感覚?だったのか?
言いましたよ。
おかあしゃんに見せようと思ってくれてありがとう。でも、今度から先生に言って取っておいてもらって、お迎えの時に見せてね。いつもあるおもちゃがないと先生もお友だちも困っちゃうよ。そうちゃんも遊ぼうと思ってたおもちゃないと嫌でしょう?
…ふにおちてない?いや、わかってるのか?微妙な表情。
はっきり言って、それは悪いことなんだよ!
そう言ったら、ハッとして、「じゃあ隠そう」だって。
…いやいやいや。
しかし…
そうちゃんにとってもし虫取りと同じようなゲーム感覚なら、「取られたら相手が悲しむよ」という理屈は、なぜ虫に対しては適用されず、人間社会にだけ適用されるべきなのか?
…と疑問に思わないだろうか。というか、私が思った。
そこには、相手が悲しむというよりかは、そんなことをしたら自分が嫌われて困るとかそういう利己的な理由で動いている自分がいるなと思った。虫には嫌われても構わないもんね。
生き物である以上、食べ物も必要だし、自分に害がありそうな虫や動物を駆除することもあるし、楽しんでハンティング(虫取りや釣り)をすることがある。人間同士だって、自分の不甲斐なさで迷惑かけたり、傷つけたりすることも多々ある。だから、「悲しませない。迷惑をかけない」ことを至上目的にするのは、偽善だと思うのだ。だけど、そこになんらかの節度を与えるとするなら、やはり、相手の気持ちを想像してみる、ことなのかなと思う。自分とは違う相手の気持ち…。
食べるにしても、この魚の命を想像してみたり。そしたら、手を合わせて心からいただきますと言えるかもしれない。殺すにしても、蚊の命を想像してみて、そもそも網戸をしっかりして入って来させない対策をするとか。
迷惑をかけるにしても、仕方ないと開き直らないで、自分もいつか人に対して寛容になれますようにと少し念じてみるとか。
周りに意識が向けられるって結局自分のためで、自分は孤独じゃない、自分も神様に愛されていることの確認になると思うんだよね。
そうちゃん、おかあしゃんと一緒に万物に想像を働かせて、なるべく、相手を選ばす真摯に生きていこうね。
by tyukita
| 2015-07-23 13:38
| 1104〜育児、育自