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青森、沖縄、グァテマラ、岡山で生活してきたカフェ好き主婦の自由なブログです。


by tyukita
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研修にまつわる一連の流れが終わり思うところあり

研修はとっても面白かった。
講師の方々も、話がわかりやすくて、飲み込みやすい内容だった。
ディスカッションが多くて、熱くなった(笑)
関心のベクトルが似ている人たちが集まるので、どの人と話しても面白かった。

今後二年間の目標
思ったことは、
私は「青年海外協力隊」として行くのではなく、「青年海外交流隊」もしくは「青年海外経験隊」くらいの気持ちで行くのがちょうどいいのではないか。ということ。
ほかの職種は、わかりませんよ。シニアボランティアの人も、わかりませんよ。
あくまで、実務経験の極めて乏しい私が、資格など不要の職種で、海外に出たところで、なにを協力できるのか?お世話になりっぱなしで、協力できることなんてあるのか?ということです。「自分の器で最大の仕事とする」っていったら、「交流」だ。っていうか、交流の価値も相当のものがあるじゃないですか。
というわけで、以下の四つが、軸となる目標です。

①日本と世界のために、日本人の印象を良くすること

②日本と世界のために、グァテマラをもっと深く知り、その経験を帰国後に社会に還元すること

③日本と世界のために、パラダイムシフトしても変わらない人類普遍の価値を見つけ、その学びを帰国後に社会に還元すること

④日本とグァテマラのために、現地でお役に立てそうなことがあればお手伝いすること
(言いようによっては結局すべて自分のためですが、そんなことを言うとややこしいので割愛します)

これらは目に見える成果がすぐに出せるものばかりではないから、「税金の無駄遣いじゃないか」と言われるかもしれませんが、それはいたしかたない。目に見えないものはわかってもらいづらい。でも、帰国後のことも含めて、この「交流」というか、「いろんな場所に信頼関係を築く」というのは、とても価値のあることだと思う。そうでしょう、なにをするにしても、チームになるのなら。

空回りしてしまう「協力」があるのはなぜか
~「協力」の必要性をどう判断するか~

思うんだけど、
先進国の直接的な利益のために行なわれている援助はともかく、純粋でまっすぐな若者が、途上国に行ったときに「余計なお世話」的な行動をしてしまうのはなぜでしょう。機械の導入がいい、歯ブラシをすることがいい、識字率が高いほうがいい、という前提のもとに海外に行って、思い通りにならないときに「途上国の人は向上心が足りない」という感想を持ってしまうのはなぜでしょう。ある程度の技術と経験がある人間が、要請内容に沿った成果をあげなくては!と意気込むのはわかるのですが、現地の人の関心が全くなくて空回りしてしまうケースもあるのはなぜでしょう。
こんなに優しくてしっかりした人が!?というOGさんが、「空回りして辛かった」という体験談を話してくださったから、実際に現地に行ったら私なんてどうなってしまうのかわかったもんじゃないけれど、今のところ、以下のように思うのです。

(協力者となる国が、直接的で可視的な利益にあまりこだわっていない場合)
他国の援助が必要かどうか判断するのは、技術的にどうのこうのとか、近代化(西欧化)がどうのこうのとか、そういうことではなくて、

『住民の多数に納得された秩序のもとに生活が営まれているか否か』

ということではないのか?これが判断基準ではないのか?
秩序というのは、なにか問題が起こった時、パターン化された対応策があり、解決に向かってその段階的な予想をたてられる体制のことです。
協力隊は、危険地域には行かない(ことになっている)ので、武力の面においては、それなりの秩序がある地域に赴く(ことになっている)。ただ、医療において、もしくは教育において、あるいは農業においてetc、秩序が乱れて行き当たりばったりの対応しか出来ずに困っている地域があれば、そこに「協力」の必要が生まれてくるのではないか。
そして、
『秩序が乱れていない場合(現地の人がそんなに困っていない場合)、そんなに協力することはないのではないか』→その場合は臨機応変に、なんかできそうなこと、必要と思われることを見つけてやってくればいいのではないか。
行ってみたら、協力国が思っているほどまたはその国の政府が思っているほど、国民は困っていなかったりもする(逆に、本当は困っているけれど諦めゆえに困っている自覚がない場合や、要請内容どおりにちゃんと困っている場合もたくさんある)。
つまりは、行ってみないと(もしくは行ってみて一定の期間以上コミュニケーションをとってみないと)、秩序があるかどうかなんてわからない、ので、行ってから考えた方がいいこともたくさんあるということだ。「交流」のあとに、「協力」の必要性を見出すことだ。

心がけの話
最悪なのは、日本の価値観にとらわれすぎて、他国の暮らしを美化or卑下すること。
国が違うくらいで異なってしまう価値観なんて、大した価値じゃあないと思うんだがなあ。
というかそれは「手段」としての価値であって、「目的」としての価値ではない。
パラダイムが変わっても、変わらない価値。それはなんだろう?
人類に共通する目的としての価値。それはなんだろう?
それさえ死守できれば、私はもっとシンプルに、ニュートラルに生きていける気がする。

あと、「理解すること」と「染まること」がイコールにならないように。
あくまで、私の得意分野は「日本国津軽地方のこんな家庭のなかで生きてきたこと」なので、愛着もあって得意でもあるものをわざわざ捨ててしまわないように気をつけたい。

そんなところです。
不安もあるけど、気持ちは盛り上がっている。
これからだ。
by tyukita | 2006-12-15 12:45 | 0610~助走